1990年東京優駿(日本ダービー)、3番人気となったアイネスフウジンであったが、自ら前半3ハロンを35.7の速いタイムで逃げをうつ。皐月賞優勝馬ハクタイセイがこれを追いかけるが、絶妙のペースで逃げたアイネスフウジンは一度も先頭を譲ることなく最後の直線でハクタイセイは脱落、さらに中団から怒濤の勢いで追い込んできた1番人気メジロライアンに1馬身1/4の差をつけて東京優駿(日本ダービー)を2分25秒3のレースレコードで逃げ切った。
なお、この東京優駿(日本ダービー)のレースレコードは、馬場改修工事が行われた14年後の2004年のキングカメハメハの勝利まで破られることはなかった。
このとき、東京競馬場には19万6517人の観衆が詰め掛けていた。この入場者数は世界レコードであり、これ以降ダービーデーは入場規制が行われるようになった為、この記録を抜く可能性は現在のところはない。ウイニングランをしたアイネスフウジンと中野に対し賞賛の意味を込めて「ナカノ」コールの大合唱を行った(当時、中野は減量苦により、苦しい騎手生活を送っていたといわれる)。これ以降、しばしばGI競走で優勝した騎手に対して同様のコールが発生するようになった。もっともアイネスフウジンはレース終了直後に脚部に不安を発生させていて(実際に中野が脚を気にしているシーンがある)、クールダウンさせてからコースを引き上げたため、一層「勝者の凱旋」を演出するかのような感覚から「ナカノ」コールにつながった、と見る向きもある。
その後、アイネスフウジンは脚部不安が発生して引退。種牡馬入り後は産駒に恵まれず一度は種牡馬引退が検討されたが、2000年にファストフレンドが帝王賞、東京大賞典を勝ち、種牡馬生活を続行することになった。
2004年4月5日、宮城県鳴子町の斉藤牧場にて腸捻転のため急逝する。
アイネスフウジン・90年東京優駿(日本ダービー)動画
このとき、東京競馬場には19万6517人の観衆が詰め掛けていた。この入場者数は世界レコードであり、これ以降ダービーデーは入場規制が行われるようになった為、この記録を抜く可能性は現在のところはない。ウイニングランをしたアイネスフウジンと中野に対し賞賛の意味を込めて「ナカノ」コールの大合唱を行った(当時、中野は減量苦により、苦しい騎手生活を送っていたといわれる)。これ以降、しばしばGI競走で優勝した騎手に対して同様のコールが発生するようになった。もっともアイネスフウジンはレース終了直後に脚部に不安を発生させていて(実際に中野が脚を気にしているシーンがある)、クールダウンさせてからコースを引き上げたため、一層「勝者の凱旋」を演出するかのような感覚から「ナカノ」コールにつながった、と見る向きもある。
その後、アイネスフウジンは脚部不安が発生して引退。種牡馬入り後は産駒に恵まれず一度は種牡馬引退が検討されたが、2000年にファストフレンドが帝王賞、東京大賞典を勝ち、種牡馬生活を続行することになった。
2004年4月5日、宮城県鳴子町の斉藤牧場にて腸捻転のため急逝する。
アイネスフウジン・90年東京優駿(日本ダービー)動画
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