皐月賞でダイナコスモスは5番人気に過ぎなかった。 しかしレースでは、中団を進み直線で早めに先頭に立ち、追い込むフレッシュボイスをクビ差退けた。
[RSS]
春のクラシック戦線の皐月賞は、前半1000m58秒8という時計を前半叩き出し、競りかけた相手を勝負根性で潰してロングホーク・エリモジョージの追撃を振り切り逃げ切り勝ちのカブラヤオー、
[RSS]
トウショウボーイが引退し、テンポイントも世を去り、7歳になったグリーングラスだけがターフに残った。しかしこの年は更に脚部不安に苦しめられ、アメリカジョッキークラブカップ2着後、4ヶ月ぶりのぶっつけで宝塚記念に出走したが3着。結局この2戦のみでシーズン後半を迎え、休養明けのオープンレースを2着して久々に調子を上げて臨んだ12月16日の有馬記念を、引退レースと決めたのである。
[RSS]
ニホンピロウイナー はマイルチャンピオンシップ2勝、安田記念に勝利するなど、マイル以下の短距離レースを中心に活躍した。83年、84年、85年の3年連続でJRA賞最優秀スプリンターを受賞している。
[RSS]
ミホシンザンは中山の新馬戦を9馬身差でデビュー戦を飾った。水仙賞も快勝し、スプリングステークスでは、逃げるサザンフィーバーの落馬事故を切りぬけて優勝、3連勝でクラシックを迎えることとなった。
[RSS]
1984年のジャパンカップでカツラギエースが大逃げで逃げ切り、ついにミスターシービーを相手にGIで勝利した。同時に日本馬初のジャパンカップ制覇を果たす。
[RSS]
朝日杯3歳ステークスでマルゼンスキーは、80%程度の仕上げで出走(100%に仕上げたら脚がもたなかったといわれている)。レースはほぼ馬なりで1600mを1分34秒4というタイムで走破し、着差は2着ヒシスピード鞍上の小島太に『バケモノだ』と言わしめた程の13馬身差の圧勝の上に、本気で追っていたら後2秒は早いタイムを出せたと言わしめる程の内容であった。
[RSS]
皐月賞ではシンボリルドルフは道中3番手で競馬を進め、4コーナーでは先頭になった。直線に入るとビゼンニシキと一騎打ちになり、シンボリルドルフは外側を走るビゼンニシキと激しくぶつかり合い、外に斜行している。しかし最後はビゼンニシキを1馬身1/4抑えてレースレコードで一冠達成。表彰式で三冠を意識して岡部が一冠を示す1本指を指し示した
[RSS]
トウショウボーイは1976年有馬記念を1番人気で迎えた。このレースにはテンポイントや牝馬クラシック二冠馬テイタニヤ、天皇賞馬であるエリモジョージ・アイフル・フジノパーシア達が出走してきた。
[RSS]
1972年7月12日大井競馬場でデビューし、6連勝を飾った。その内容は、常に2着馬に7馬身以上の着差をつける楽勝で、初戦と4戦目はレコード勝ち。いずれのレースにおいても騎手が本気で追うことはなかったという。
[RSS]
1982年、ミスターシービーはデビュー。主戦は吉永正人が新馬戦から引退までつとめた。1983年の4歳(現表記3歳)牡馬クラシック戦線をリードし、1964年のシンザン以来となる中央競馬クラシック三冠(皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞)を制した。
[RSS]
1964年日本ダービー(東京優駿)では皐月賞同様に1番人気に推され、2番人気はは前走NHK杯でオンワードセカンドを破ったウメノチカラ、3番人気は皐月賞2着馬アスカであった。
[RSS]
セントライトは1941年、横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)、東京優駿、京都農林省賞典4歳呼馬(現:菊花賞)を勝ち、日本の競走馬として初めてクラシック三冠馬となった。
[RSS]







はてなに追加
MyYahoo!に追加
del.icio.usに追加
livedoorClipに追加